アントニオ猪木の名言といえば「元気ですか!元気があれば何でもできる」が有名ですね。アントニオ猪木議員(維新の会)が北朝鮮との議員外交について安部総理の見解を正した国会において、この名言を冒頭大声で発表。これに対し、山崎委員長から「心臓に悪いからやめてくれ」との注意を受けた。

 

 

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■アントニオ猪木
日本の元プロレスラーで実業家であり政治家
現在は維新の会所属の参議院議員

神奈川県横浜市鶴見区出身
血液型AB型

1960年にブラジルサンパウロを興行中の力道山に
スカウトされ、日本に帰国後、日本プロレスに入団。

アントニオ猪木というリングネームは
先輩レスラー「豊登」によりつけられた

当時の名レスラー「アントニオ・ロッカ」から
とったもので、ブラジル帰りの日系ブラジル人を
強調する意向もあったとのこと

数年後、日本プロレスを追放されるが
1972年に「新日本プロレス」を設立し、

ジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」
2大プロレス団体によりプロレス人気が高まった。

「燃える闘魂 アントニオ猪木」で一世を風靡
した猪木は、異種格闘技などにより
人気を不動のものとしていく。

1994年にプロレス界を引退し、
その後、格闘技団体のイベントの盛り上げ役として
登場するなど、格闘技界の底上げに従事

政治家としては
1989年に「スポーツを通じて国際平和」を合言葉に
スポーツ平和党を結成。

第15回参議院議員通常選挙に比例区で当選
晴れて参議院議員となる。

1990年の湾岸戦争では、日本人41人の人質解放に
一役を買い、のちに開放される行動となる。

その後、一旦政治家を落選するも
2013年に日本維新の会より
第23回参議院議員通常選挙の比例代表で当選
現在に至っている。

■アントニオ猪木とタバスコ
以前「アントン・トレーディング」という貿易会社を設立し、
タバスコの販売権を持っていた。

当時、まだ一般的ではなかったタバスコは
その後の激辛ブームや宅配ピザなどの需要の広まりにより
大幅に伸びた。

「タバスコを最初に日本に持ち込んだのは猪木」
とよく言われるが事実ではないらしい。

【猪木の国会での発声動画:屁が出たか?】
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